エリート就職難民はどこへ行けばいいのか。

 エスカレーター逆流事故関係とか、湾岸署関係とか、ギャラの関係とかで立て込んでいて、世の中の流れに追いついていない直江ですが、いまさらながら京女問題*1に噛み付いてみようと思います。

没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たち-女。京大生の日記。』では、

主要な企業における2009年新卒採用活動はほぼ終了し、2010年新卒採用の動きが活発化している今日、就職活動は一生懸命しているにもかかわらず、就職先が見つからない、あるいは、希望の就職先に内定をもらえず不本意な企業に内定し悶々とした日々を過ごしている高学歴大学生がここ京都大学に存在する。

超売り手市場と言わる新卒就職市場においても、就職するのに四苦八苦する高学歴就職難民たち。これは、個人の問題ではない社会の問題である。

という問題提起がなされてます。

これに対して、
『学校ってバカを治療してくれんのか』-404 Blog Not Found

そもそもこの21世紀に「高学歴=エリート」と思い込んでいるのがイタい。京大には毎年3000人も入学する。東大はそれより少し多い。他の大学も比べれば、仮に「学力=就職力」と見なしても、自分と同程度の「力」を持つ奴は1万人程度はいるということになる。少なくとも学校を出た時点では、君たちは「その他大勢」に過ぎないんだよ。

しかし、これはあくまで定量的な問題。定性的な問題として、高偏差値大学の卒業生というのが、その時点では「人が作ったゲームの高得点者」に過ぎないということがある。高学歴に対して就職を優遇されるべきというのは、高橋名人(って言ってもわからないかも知れないけど、かつてのヴィデオゲームの達人代表)を無条件で採用せよと言っているに等しい。

『目の前の現実と自分の知識に対して当事者意識持って考えない奴はただの「バカ」』-NC-15

まあ、意気込みだけは結構なんですけどね。だったら、全ての事象に対して社会の所為にする前に、当事者意識持って考える頭がなかったら絵に書いた餅なんですけどね。

『漁船の絵』-地を這う難破船

腕一本根性一本の成り上がり者と弾さんのいかにもな言説に対して藁人形こさえることも結構であるけれども、成り上がるしかなくそうなったところで成り上がり者としか見なされない人というのが昔も今も幾らもいます、社会構造の問題と言うなら。だからそのような人が社会において救済されるべきという正義が導き出されるか、むろん微妙です。誰しも等しく社会において救済されるべきというのが正解です。そして両者は同じことではありません。同じことではないから政治が要請される。後者に至ることは前者を捨象することではありません。それらを捨象して天下国家とその変革を語るなら青年将校とは言いませんが革新官僚のメンタリティですねと言うよりほかありません。むろんそれは自由ですがそれが正義であるかというと戦前ではない社会におかれては微妙です。一般論としても、そういう話です。

等の反応が出ています。

 京大卒業予定の学生が所謂「エリート」にあてはまるのかの考察は他に譲るとして、ここでは旧帝大卒の就職難民の受け入れ先を考えてみます。私は、彼らの受け入れ先として官僚組織が妥当であると考えます。建前上学歴による優遇は無いことになっていますが、実際のところOB達の強固な連携は存在しますし、もちろん研修同期による横のつながりもあります。職種的には事務官技官含めればどの民間企業よりも幅広い選択肢*2がありますし。仮に国家I種でなく国家II種で入省したとしても、年収は銀行員の半分程度ではあるものの、少なくともネットのあちこちで「官僚はもらいすぎてる!」と言われる程度には貰えるでしょう。*3また、京大のような旧帝大出身者であればそれなりの敬意をもって接されるでしょう。私のかつて一緒に仕事をしたことがあるO事務官は、現場の仕事を希望してわざわざ防衛II種で入庁したにもかかわらず、東大卒であることから結局内局勤務に回されていました*4。そのぐらい「高学歴」に関してはさまざまな考慮をしてくれる職場なので、コミュニケーション能力の低い高学歴の皆さんにはうってつけの職場だと考えます。

 まあ、「就職活動は一生懸命しているにもかかわらず、就職先が見つからない、あるいは、希望の就職先に内定をもらえず不本意な企業に内定し悶々とした日々を過ごしている高学歴大学生がここ京都大学に存在する。」と京女さんのエントリにはあるので、官僚などは初めから考慮の外だったのでしょう。だとすると、彼らが選んだ「京大」という選択肢は果たして彼らの希望する就職にとって正しい選択肢だったのかどうか、ということが気になります。不適切な選択肢を選んでしまったせいで不本意なストーリーに導かれる、そういったこと自体は至極当たり前のことのように考えられる*5ので、この京大生の訴えというのは、単純に「いい大学を出ればいい就職ができる」と言われ続けたことに対する心理的代償を求めているように感じます。ただ心理的代償を得たり、社会的補償を求めて運動することよりも、もっとずっと他のことの方が「悶々とした日々を過ごしている」ことに対する処方箋にはなるように思います。また、彼らが求めている「望んだ就職」には、それを受け取る立場の者がいるように、それを与える立場の者がいる*6ことも忘れてはならないと考えます。

 それにしても、旧帝大といったら官僚養成大学だっていうことは考慮しないで入ったんだなということはよくわかりました。学校の先生や親たちも教えてあげればいいのにとも思いましたが、いずれにせよ配られた配牌を打ちまわすのは本人以外いないということも併せて思います。*7

*1:なんかそう略すなというお話もあったようですが、ほかに名前も思いつかないので。……没落エリート問題というのも、なんか違うような気がします。

*2:ただし入省までにほぼ確定する

*3:実際に貰うとそのあまりの少なさに愕然とするでしょうが、世間の言説によれば民間企業はもっと少ないでしょう。

*4:内局は一般的には憧れの職場です。

*5:私は官僚という不適切な選択肢を選んだことで、ライターデビューの年齢的な遅さとそれに伴う問題に直面しています。ですがそれは当たり前のことですし、不適切な選択肢を選んだことで得たものもあると考えています。

*6:当然彼らにとってわざわざその就職を求めている学生に席を渡さなければならない義理などない

*7:自己責任とかそういうのではなく、社会的補償があるとしてもそれを待っているうちに老人になってしまうのではないかという意味で