普通の街・秋葉原にて。

 ちょっとした仕事のため現場付近を犯行の5分ほど前に通過しました。昼過ぎに到着したときの秋葉原はパフォーマンスもなく、いつもの休日よりも歩行者天国の人出は少なめでした。同行していた中島聖さんがヘルニアが痛むらしいので昼食にロイヤルホストに入り、注文をしている最中にサイレンを鳴らした救急車が歩行者天国に駆けつけるのを見かけました。それからほどなくして機動救急車が到着。5分ほどして携帯にかかってきた電話で我々は事の仔細を知りました。2人組のうち一人がという情報も聞こえていたので念のため2時間ほどしてから店を出ました。中央通りの歩行者天国はまだ封鎖中で、しばらくしてニッポンレンタカーのトラックがレッカーで運ばれていきました。

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「誰でもよかった」過去にも=社会を逆恨み?−通り魔事件で容疑者(時事通信)

 「誰でもよかった」。東京・秋葉原の通り魔事件で、7人を殺害した加藤智大容疑者(25)はこう語ったとされる。過去の無差別殺傷事件の容疑者も同様の供述をしている。
 今年3月に茨城県土浦市のJR荒川沖駅前で8人が殺傷された事件で、逮捕された男は「人を殺したかった。誰でもよかった」と説明。「複数殺せば死刑になれると思った」とも供述しており、検察側は精神鑑定をしている。JR岡山駅で同月、岡山県の男性職員がホームから突き落とされ殺された事件では、当時18歳の少年が「人を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」と供述した。1999年12月の東京・池袋の通り魔殺傷事件で、死刑が確定した男も「誰でもよいから人を殺して世間を驚かせてやろう」と犯行を決意したとされた。
 東京の繁華街での無差別殺傷という点で今回と共通点があるが、男は日ごろから「自分が社会で正当に評価されていない」と不満を持っていた。一方、加藤容疑者は「世の中が嫌になった」と供述しているという。8日は大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件からちょうど7年。名門小学校を襲った宅間守元死刑囚=執行=は、元妻への恨みを社会全体に転稼したとされた。

おそらくは興味本位のマスコミによって見当違いのオタク叩きがひとしきり行われるでしょう。*1しかしながら昭和の頃秋葉原はは食事をする場所にも困る電器と青果市場の街でした。そのころは不思議と他の盛り場ほど凶悪事件がない街でした。*2しかし最近は秋葉原UDXなど電気街にとらわれない「普通の街づくり」に取り組んできました。そうした結果池袋や新宿、渋谷などの盛り場と同じように凶悪犯も出てきた、ということでしょう。1999年に池袋の東急ハンズ前で鎌と鋸包丁とハンマーが使われた通り魔事件が思い起こされます。開発の甲斐あって、秋葉原も普通の盛り場になってしまったということでしょうか。凶行に遭い亡くなられた方々に哀悼の意を表します。


(写真は事件発生2、3時間ほどあとのものです。この時点でも通行規制が敷かれていました。上写真の右手奥にあるトラックが犯行に使われたもの)

追加。掲示板方面では「犯人は涼宮ハルヒコスでXBox360を背負っていた」とか言われていたようですが、現場付近にそういう人はいましたが*3、彼は犯人ではないようです。

さらに追加。犯人はトヨタ系の製造会社の派遣社員だったようですが、何処からかの圧力で事件後しばらくしてからの報道では伏せられているようです。

*1:現場で見たTBSの報道班は今までに見たことがないほど溌剌と動いていました。報道にも力が入るでしょう。

*2:20時を過ぎると殆どの店が閉店する秋葉原では夜はひっそりとしたものでした

*3:すれ違った